谷口 裕和 (たにぐち ひろかず)
昭和52年、飛騨高山生まれ。
高山市内で古くから料亭を営む環境に育ち、幼少の頃より日本舞踊への憧れを抱きながら、舞踊家を強く志す。
西川流にて手ほどきを受け、長唄「雨の五郎」で初舞台を踏む。
15歳で上京、人間国宝 西川流十世宗家・西川扇藏師の元、内弟子として修業。
19歳の時、舞踊家であり歌舞伎振付師である梅津貴昶師に出会い、梅津流へ入門。
20歳で梅津流師範『梅津貴之助』を襲名。
国立劇場にて、荻江「鐘の岬」の舞台を踏む。
その後、梅津流師範として、数多くの歌舞伎舞踊の振付に携わる。
23歳で、国立劇場に於いて、歌舞伎舞踊の集大成とも言える長唄「京鹿子娘道成寺」を素踊り(黒紋付・袴)で踊る。
評論家・草柳大蔵氏は、著書『生命を燃やしております』の中で、
『貴之助君の舞いは真面目そのもので、
あれほど手数の多い所作をよくぞこなしたものよと、前途に大きな期待を持たせた。
ここが大事なところで、「いまどきの若者は」という表現がオクビにも出しかねるほど、
「型」が立派に出来上がっているのである。』
と 述べ、その実力と類まれな表現力を高く評価している。
流派に所属しない舞踊家として独立
26歳で本名にて活動を始める。
東京と高山を拠点とした『菁風会』を主宰。
日本舞踊家としての自身のさらなる技術の鍛練とともに、日本舞踊の普及を目指した活動を行っている。
「解」
季刊誌「解」の2007年春号に、掲載させて頂きました。